▲右上から時計回りに、エジソンが発明した世界初の蓄音機「フォノグラフ」、日本初のラジオ受信機(早川金属工業研究所、現シャープ)、ベルリナーが発明した蓄音機「グラモフォン」、震災復興のために導入された円太郎バス(東京市) ▲右上から時計回りに、エジソンが発明した世界初の蓄音機「フォノグラフ」、日本初のラジオ受信機(早川金属工業研究所、現シャープ)、ベルリナーが発明した蓄音機「グラモフォン」、震災復興のために導入された円太郎バス(東京市)

ロウ管から樹脂ディスクへ、蓄音機からラジオへ

自動車が実用化された19世紀後半から20世紀初頭にかけて、蓄音機や真空管、無線通信といったオーディオ再生の基礎となる多くの発明も生まれました。

もちろん、これら黎明期の音響技術はいまだ車載化とは無縁の段階にあって、車とエレクトロニクスが本当の意味で出会うのはずっと先の未来のこと。

産業革命という巨大な揺りかごの中の、少し離れた場所で、両者はそれぞれに成長していったのです。

今回はカーオーディオ前史として、自動車に積まれる前の音楽再生メディアの夜明けへとさかのぼって話を始めることにしましょう。

記録された音を再生して聴くオーディオメディアの第1号は、ご存じのとおり発明王トーマス・エジソンによって生み出された蓄音機「フォノグラフ」(1877年)でした。

メディアは記録面がロウ製(初期は錫製)のシリンダー型で、アタッチメント交換により1台で録音・再生ができ、機能的にはレコードプレーヤーというよりテープレコーダーに近いものでした。

当初エジソンは、これを娯楽用ではなく口述記録などに役立てるビジネスマシンと位置づけ、この偉大なる発明品を音楽鑑賞などというチャラい用途に使うべきではないと考えていたようです。

それから10年後の1887年、ドイツ系アメリカ人のエミール・ベルリナーによって発表されたのが、現在のアナログレコードのルーツというべきディスク型メディアを採用した「グラモフォン」です。

こちらはエジソンのフォノグラフほど精巧ではなく、動力源もフォノグラフのゼンマイ式に対して当初は手回し式。

事実、最初の市販品は子共用の玩具として世に出ました。

しかし顧客は、機器の売価もメディアの製造コストも安く、取り扱いが簡便なグラモフォンの方を支持、エジソンの当初の志に反して音楽鑑賞用として爆発的に普及していったのです。

一方、1920年代に入るころ、蓄音機に強敵が現れます。

それが、米国ピッツバーグで1920年に電機メーカーのウェスチングハウス社が設立したKDKA局に端を発する、民間向けラジオ放送の開始です。

音楽や演劇、ニュースなどが電波に乗って瞬時に届くラジオ放送は音質、コンテンツの豊富さ、速報性のすべてにおいて蓄音機を圧倒。

1922年にはラジオメーカー各社の共同出資によるヨーロッパ初の民間向けラジオ局BBCがイギリスで、1925年には日本初のラジオ局としてJOAK東京放送局(NHKの前身)がスタートし、世界はラジオの時代へ一気に突入します。

▲1923年の関東大震災は既存の有線通信網をことごとく寸断し、被害状況の把握に多くの時間を費やしました。その教訓からラジオ放送が国策として強力に推進されることに。海外のように商業的に立ち上げられたのとは対照的な船出です▲1923年の関東大震災は既存の有線通信網をことごとく寸断し、被害状況の把握に多くの時間を費やしました。その教訓からラジオ放送が国策として強力に推進されることに。海外のように商業的に立ち上げられたのとは対照的な船出です
▲そして大震災はモータリゼーションをも加速させました。東京の主要交通網であった路面電車の軌道は壊滅状態となり、東京市(当時)はその代替として乗合自動車800台を急遽導入することに。それがこの「円太郎バス」です▲そして大震災はモータリゼーションをも加速させました。東京の主要交通網であった路面電車の軌道は壊滅状態となり、東京市(当時)はその代替として乗合自動車800台を急遽導入することに。それがこの「円太郎バス」です

米国では、ラジオ普及の影響で売り上げを落とした蓄音機とレコードのメーカーがラジオ局に対して著作権侵害訴訟を。

速報性に恐れをなした新聞社は、ラジオ局へのニュース提供を拒否。

疑心暗鬼に駆られた新旧メディア間の駆け引きがしばらく展開されたのでした。

当時の人々を夢中にさせたラジオのもうひとつの優位性、それは好きな場所へ音楽を持ち出せるポータビリティにありました。

蓄音機のようにレコード盤とともに持ち歩く必要がなく、コンテンツは無限。

しかも回路の動作に必要な直流電源を家庭用の交流電源から作り出す整流技術が確立される1920年代後半まで、ラジオは電池で鳴らすことが当たり前でした。

屋外でも楽しめるポータブルタイプのセットが数多く作られたのです。

T型フォードの成功によって自動車ブームが巻き起こっていたこの時代、2つの最新テクノロジーを組み合わせようと考える者がいたのは当然でしょう。

text/内藤 毅
Illustration/平沼久幸
photo/フォード