▲筆者の自家用車である08年式ルノー カングー(5MT)。都内のとある下町にて ▲筆者の自家用車である08年式ルノー カングー(5MT)。都内のとある下町にて

車は、超高性能&超ゴージャスじゃなくても全然構わない

過日、三陸沿岸のとある田舎町で2週間ほどの休暇を過ごした。古民家に泊まり、日の出とともに釣りや山菜採りに出かけ、夕方帰宅し、地元の人らと食卓を囲んで魚を食べ酒を飲み、特に夜遊びスポットもないので22時頃にはとっとと就寝。そんな毎日を繰り返して田舎暮らしに染まり始めた頃、我がふるさと東京へ戻ってきた。

我がふるさとでありながら、田舎に半ば染まった筆者から見た東京は異常な街だった。

▲久しぶりに戻った東京の街は「異常」だった? 写真はイメージで、品川区の天王洲アイル付近 ▲久しぶりに戻った東京の街は「異常」だった? 写真はイメージで、品川区の天王洲アイル付近

何が異常かといえば、例えば音楽だ。久しぶりの東京で聴く流行りのジャパニーズ・ポップミュージックは、そのリズムもメロディも歌詞もアレンジも、要するに曲のすべてが、あまりにも「凝りすぎ」なのだ。

音楽というのは(基本的には)シンプルな4拍子や3拍子に美しいメロディと心を打つ歌詞が乗っていれば、それだけで完成する。余計な調味料は本質的には不要なのだ。しかしそうとばかりも言っていられないのが世の中の進歩というものなので、リズムに工夫を加えたり、古典的な大衆音楽からするとややトリッキーに思える和音やメロディ、歌詞などを加えることで、ここ数十年のポップミュージックは進化を続けてきた。もちろん、それはそれで素晴らしいことだ。

しかし久しぶりの東京で聴いた最新のジャパニーズ・ポップミュージックは、筆者には「凝るために凝っている」ようにしか見えなかった。

例えばだが、普通に「タン、タン、タン、タン」という4拍子で続ければ十分そうに思える箇所で、妙に変則的なブレイク(休符)を入れる。それが楽曲全体の品質向上に寄与しているならいいのだが、田舎の生活リズム(要は自然に比較的近いリズム)に半ば慣れた筆者には、「ただ周囲との差別化を図りたいがための不自然なブレイク」にしか聴こえなかった。

▲最近のポップミュージックは凝りすぎ? 写真は筆者のフェンダー テレキャスター ▲最近のポップミュージックは凝りすぎ? 写真は筆者のフェンダー テレキャスター

「もっと普通でいいのに……」と強烈に思った筆者だが、同時に思ったのが「なぜ、東京の人たちはこんなにも不自然な音楽ばかり作るのだろうか?」という疑問だった。

正確なところはわからないが、おそらくは「普通であること」が怖いのだろう。普通に古典的な8ビートだけでは、埋もれてしまう。目立たない。売れない。何かに押しつぶされてしまう……と、そんな恐怖感が、彼らを過剰に変則的なビートや和音へと向かわせるのだと推測している。

もちろんポップミュージックに関する好みや感じ方は人それぞれであるため、これは筆者1人の意見にすぎないし、そもそも短期的に田舎かぶれになっただけなのかもしれない。しかし、「もったいないなぁ」とは強く思うのだ。本当は普通がいちばんなのに。自然のリズムに根ざした音楽が本来はいちばん気持ちいいはずなのに。余計なアレンジなんてしなきゃいいのに、と。

これと似たようなことが、最近の車にも当てはまる気がしてならない。

あなたもすでにご承知かと思うが、ここ数年の間に登場した輸入ニューモデルの各種性能はすさまじい。大したスポーツモデルじゃなくても鬼のように速く、鬼のように曲がる。デザインも非常に凝ったものが多く、内装も基本的にはひたすらゴージャス志向だ。

……それはそれで良いのだが、何というかこう、筆者にはある種「過剰」に思えるのである。

▲あくまで一例だが、その昔は「大衆実用車」という位置づけだったフォルクスワーゲン ゴルフも、最新世代ではご覧のとおり「ゴージャス」とすら言えそうな内装に。そしてGTIではない写真の「TSIハイライン」であっても鬼のように速く、下手なスポーツカー以上によく曲がる ▲あくまで一例だが、その昔は「大衆実用車」という位置づけだったフォルクスワーゲン ゴルフも、最新世代ではご覧のとおり「ゴージャス」とすら言えそうな内装に。そしてGTIではない写真の「TSIハイライン」であっても鬼のように速く、下手なスポーツカー以上によく曲がる

あえて「なんて」という言葉を使うが、車なんてものはもうちょっとフツーな感じでも十分なのだ。もちろん、スーパーリッチやスーパー自動車マニアがモア&モアなゴージャスさや高性能を求めるのは理解できるし、そこについては特に異論はない。だが「何も全部が全部、あるいは全員が全員、そこを目指さなくてもいいじゃん」とは思うのである。

まぁ何ともいえない問題だが、もしも「だよね。もうちょっとシンプルというか自然のリズムに近い感じの車に乗りたいよね」と考える人がいた場合、オススメできるのはどんな輸入車だろうか? ……たぶんベストは初代フィアット パンダとかフォルクスワーゲン タイプ1(いわゆるビートル)あたりなのだろう。だが、いかんせんそれらは年式的にけっこう古いため、気合十分なマニア以外には少々キツい部分もある。もう少し一般的な線で、それでいてナチュラル系な1台はないものだろうか?

ある。ルノーの初代カングーだ。

▲02年3月から09年8月まで販売された初代ルノー カングー。03年7月までの初期型はフロントまわりのデザインなどが写真の後期型とは異なり、エンジンも1.6Lではなく1.4Lだった ▲02年3月から09年8月まで販売された初代ルノー カングー。03年7月までの初期型はフロントまわりのデザインなどが写真の後期型とは異なり、エンジンも1.6Lではなく1.4Lだった

どうってことのない1.6Lエンジンに普通の5MTまたはトルコン式4速ATを合わせ、そしてどうってことのない前輪ストラット、後輪トレーリングアームのサスペンションを採用した、商用車的ビジュアルのフルゴネット乗用車。ついでに言えば内装はチープな鉄板むき出し部分が多い。

が、これが実によく走り、そして当然ながらいろいろなものが積めて使い勝手が良い。5ナンバーサイズなので邪魔にもならない。で、ややこしいメカはさほど使われていないため、修理するにしてもさほどややこしいことにはならない(ATが壊れた場合は別だが)。そして見てのとおりビジュアルも、個性的というのか何というのか、とにかくステキである。もちろん細かいことをいえばいろいろ注文を付けたい部分もあるが、基本的にはこの「起きて半畳寝て一畳」的なミニマル感というか必要十分感が、非常に清々しい気分をユーザーに提供してくれるのである。

モア&モアを求めるのも一つの人生であることには間違いないため、それが好きな人は最新の、すさまじい性能を誇る車をどんどん買えばいいだろう。だが「別にそこまでは求めんよ。でもただのフツーでは終わらない、センスというか骨というか、そういったものがある車には乗りたいな」と考える人は、ぜひ初代カングーについて一度本気で検討していただきたいと、実際コレに乗っている現役オーナーとして強く願う。

▲岩手県の気仙川にて、筆者写す ▲岩手県の気仙川にて、筆者写す

ということで今回のわたくしからのオススメは、ずばり「初代ルノー カングー」だ。

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  • Car:ルノー カングー(初代)
  • Conditions:修復歴なし&走行7万km以下&総額表示あり
text/伊達軍曹