三菱 ジープパジェロ(1973年東京モーターショー)→パジェロ(1982年)

日本におけるRV(レクリエーショナル・ビークル)車という言葉を広く知らしめた先駆者といえるのがパジェロである。そのパジェロの名前が初めて披露されたのが、1973年の東京モーターショー。ジープをベースにしたオープンバギータイプのコンセプトカーであった。

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その後、1979年東京モーターショーでコンセプトカー「パジェロII」出品、1981年東京モーターショーで市販予定車「パジェロ」出品、1982年に市販化となった

歴史を感じる4WD開発

パジェロ II | 日刊カーセンサー初めて「パジェロ」の名をつけられたのは、1973年の東京モーターショーと、かなり歴史が古い。ジープをベースにしたオープンバギータイプのコンセプトカー「ジープパジェロ」は、目新しさもあって、1973年当時、多くの人々の注目を集めた。

だが、なぜ、三菱は4WD開発に力を入れたのであろうか。それは、三菱の歴史を見るとよくわかる。1935年、三菱重工神戸造船所では、陸軍自動車学校の内示を受け、日本で最初のフルタイム4WD「PX33」を試作している。

また、1952年には、アメリカのウィリス・オーバーランド社と契約を結び、「ジープ」のノックダウン生産を開始。当初は自衛隊や警察など官公庁向けだったが、70年代に入ると個人ユーザー数にも増加が見られた。これに対応するため、三菱では4WDの開発プロジェクトに力を入れ始め、パジェロ誕生へと導かれたのであった。

右上の写真は、1979年東京モーターショーに出品された「パジェロ II」。これは、初代パジェロに近いタルガトップ2ドア4シーターだった。そして1982年5月、ついに「パジェロ」が市販車デビューとなる。

販売ランキングトップの栄光

パジェロインパネ| 日刊カーセンサー1982年のデビュー当時、ボディはメタルトップと幌のキャンバストップで、ともに4ナンバーであった。翌年2月にショートホイールベースの3ドア乗用仕様がデビュー。同年6月にはロングホイールベースの5ドア仕様が追加された。

全長3995~4650×全幅1680×全高2395~2695mm。塔載エンジンは2.3Lディーゼル2種類と2Lガソリンの計3種類を設定。サスペンションはフロントにダブルウィッシュボーン独立懸架、リアがリーフスプリング式リジッドタイプであった。

あくまでジープの延長線上のような存在であった初代パジェロ。ブームに火がついたのは1991年に登場した2代目である。初代モデル後期となる80年代後半は、いまや歴史の1ページとなってしまった「バブル経済」が絶頂期を迎えた時期。好景気に沸くなかで、レジャーブームも過熱の一途をたどった。そのレジャーブームの波に乗り、初代パジェロも徐々に注目を浴びて人気が高まり、そんな「上げ潮」のなか2代目が登場した。ここでパジェロブームは、一気に加熱していく。

初代パジェロのコンセプトは、ワイルド感を併せ持った「乗用車的ジープ」といえるのではないだろうか。だが2代目以降は、ブームに乗ってゴージャス化へ拍車がかかり、初代のコンセプトは薄らいでいった。

2代目が登場する頃は、残念ながらバブル経済は終焉を迎えていた。しかしアウトドアブームは、キャンプなどの「節約型レジャー」として引き継がれた。当時のパジェロの売れ行きはすさまじく、国内販売ランキングで常にトップに名を連ねていた。ライバルメーカーも、トヨタがランドクルーザープラド、いすゞがビッグホーンなど、パジェロのライバル車を続々投入。90年代初頭は怒涛の「RV車ブーム」となった。家族でパジェロに乗り、週末はキャンプが定番であったのだ。とくにラフロードを走破するわけでもなく、普通にファミリカーとして、パジェロクラスのRV車を使っていたのがこの時代だったのだ。

しかし1994年にミニバンのホンダオデッセイが登場すると、もともと大排気量のディーゼルエンジンが主流であったRV車は、2L前後の排気量でより乗用車的に使えるミニバンに、瞬く間に牙城を奪われ、「ミニバンでお出かけ」が家族の合言葉となってしまった。

今では某民放キー局のアトラクション番組最後のダーツコーナーで、「パジェロ! パジェロ!(ダーツがパジェロと書いてあるところに刺さると、車がもらえる)」と観客が騒ぐことだけが、往事の勢いを唯一残しているようだ。