お花見ついでに「○○発祥の地」に寄ってみて! 東京下町には柔道や野球など日本初が満開
カテゴリー: ドライブ
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2015/04/01
野球に駅伝に柔道も!? 下町はスポーツ発祥の地が目白押し!
年明け早々、「横浜○○発祥の地ドライブ」に行ったワタシ。その後、お世話になっているコージー林田さんも故郷である長崎の「日本初」を記事にしてくれたように、全国各地に○○発祥の地はあり、都内も決して例外ではありません。
中でも注目なのは雷門やスカイツリーといった観光名所が並ぶ東京の下町。歴史情緒溢れるこの街も「日本初の○○の地」が多いのです。
というわけで行ってきました、歴史とロマンが溢れる「日本初の地」巡りのドライブ。今回は「東京下町にある日本初の地」を巡ってみました。
AM10:00 大学発祥の地で、学生時代を思い出す@学士会館
まず向かったのは千代田区にある学士会館。ここにあるのが大学発祥の地の記念碑……なのですが、記された文字を見ると「東京大学発祥の地」とのこと。はて? と思って調べてみると、東京大学は日本で最初の大学。そのため、ここが日本の大学発祥の地となるのだとか。
東京大学が出来たのは1877年(明治10年)。東京開成学校と東京医学校が合併して創立。学部は当時、法学部・理学部・文学部・医学部の4つで、この地には医学部以外の学科の校舎が建っていたそう。東京大学はその後、1885年(明治18年)に現在のキャンパスがある本郷へ移転し、現在に至ります。
AM10:10 日本野球発祥の地で、今年のペナントレースを予想する@学士会館
大学発祥の地から左へ数m歩くと、見えてくるのがやたら大きな手の像。手のしわや爪の様子がリアルすぎて少し不気味ですが、これこそワタシの大好きな野球が日本に来たことを示す記念碑なのです!
1872年(明治5年)、この地には前述の東京開成学校(当時の呼び名は第一大学区 第一番中学)があり、アメリカ人教師のホーレス・ウィルソンが生徒たちに教えたのが野球の始まりといわれています。翌1873年(明治6年)には運動場が整備され、本格的な試合ができるようになり、3年後の1876年(明治9年)には京浜地区に住んでいたアメリカ人チームと国際試合をしたのだとか。
そんな歴史ある地に来た記念に、開幕したばかりのプロ野球ペナントレース順位を(勝手に)予想。あるチームは新戦力が魅力的だし、またあるチームは若手選手が育っていて注目したいし……と、選手名鑑を片手に予想に熱が入っちゃいました。
AM11:00 駅伝発祥の地で、走り出す@上野公園
学士会館から車で15分ほど走ると、見えてくるのが都内屈指のお花見スポットである上野公園。平日休日問わずに観光客が多く集まるところですが、注目したいのはボート乗り場付近にあるこの石碑。これはなんと、日本で初めての駅伝が行われた場所を表す石碑なのです。
日本最初の駅伝として知られるのは1917年(大正6年)の4月27~29日の間に開催された東海道駅伝徒歩競争。京都の三条大橋をスタート地点として、ゴールはこの上野公園でした。
天気も良く、さらに桜も咲きだしたということでテンションが上がり、思わず走り出しちゃいました。しかし、ワタシでは京都どころか、都内23区を出ることさえ無理。駅伝出場者たちのスタミナには感服です。
AM11:30 寄席発祥の地で、“笑い”について考える@下谷神社
上野公園から浅草通りを東へ行くこと5分ほど。向かって右側に大きな鳥居が見えてきます。そこを曲がるとあるのが下谷神社。そしてこの神社の境内の中に、寄席発祥の地であることを記す記念碑があります。
寄席のルーツは1798年(寛政10年)。初代の三笑亭可楽がこの地に寄席の看板をあげたのが、 江戸で最初のはなし家による落語の席で、それを記念してのものだそうです。日本の伝統的なエンターテインメントに深い敬意を表しつつ、形は違えど、面白いことをしたいと襟を正すワタシなのでした。
AM11:50 講道館柔道発祥の地で、気分がアガる@永昌寺
下谷神社から清澄橋通りに面する稲荷町の交差点を左に曲がると左側にすぐに見えてくるのが永昌寺。この境内の中に講道館柔道発祥の地を記した記念碑があります。
今日の柔道のルーツとされている講道館柔道は、創始者の嘉納治五郎(当時23歳)が1882年(明治15年)に友人や門弟とともに稽古をはじめたのがここ永昌寺。道場となった書院の広さは12畳で当時の門下生は9人ほどでした。
実は幼少期に少しだけ柔道をたしなんでいたワタシ。柔道経験者にとっての聖地に行ったことで、テンションが上がりました。
PM0:20 川柳発祥の地で、一句詠む@東京メトロ蔵前駅周辺
永昌寺から蔵前駅を目指して、車で移動することおよそ10分。三筋2丁目交差点の南東側にある茶色い箱のようなものが、川柳発祥の地であることを伝える石碑です。
川柳は1757年(宝暦7年)に柄井川柳が「川柳評万句合」を発行したのがルーツ。その後、柄井川柳と呉陵軒可有が刊行した句集「誹風柳多留」が人気となり、広まりました。以来、「五・七・五」の句は柄井の名から「川柳」と呼ばれるようになったのです。
「我が国の 川柳生まれた この地へと ドライブがてら 行ってみるべし」
――せんえつながら、一句詠ませていただきました。で、ふと時計を見ると、時刻はいわゆるランチタイム。お腹がすいては戦……いや、ドライブもできない! ということで、最後の地へ向かうことに。
PM1:00 与兵衛鮨発祥の地で、寿司を堪能する@両国橋周辺
車で10分ほど走り、両国橋の近くに到着。ここに江戸前寿司のルーツといわれる「与兵衛鮨」の発祥の地を示す掲示板がありました。
今でこそ、寿司といえば握りが一般的ですが、1800年ごろまでは押し寿司がほとんど。そんな中、1818年(文政元年)ごろに小泉与兵衛という人物が初めて握り寿司を作ったそう。新鮮なネタを使ってその場で握る与兵衛鮨のスタイルが江戸っ子たちに好まれ、やがて一般的になったのだとか。
そんな由緒深いところで、もちろん食べるのはお寿司! はしたなくもその場にて実食で候。握り寿司発祥の地で食べると、通常よりおいしく感じました。
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