フィアットパンダ|伊達セレクション
筆者が最初に「車内と車外の境界が曖昧な縁側カー」の魅力に気づいたのは、写真上の初代フィアットパンダに試乗したときだった。元よりパンダのボディはペナペナであるのに加え、キャンバストップからも否応なく音と風が入ってくるため、車内にいるのか車外にいるのか一瞬わからなくなる。が、それが逆に大変気持ち良いことを知ったのだ。その感触を求めて後に写真下のシトロエン2CVを購入。それもまた本当に素晴らしい「縁側カー」であった。
シトロエン2CV|伊達セレクション
●伊達軍曹公式サイト「伊達軍曹.com」
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家の内でも外でもない「縁側」の絶妙な気持ち良さ

伝統的な日本家屋にお住まいの方もいるとは思うが、都市部では「縁側」は絶滅の危機にある……と書いてから思ったのが、もしかしたら若い人は「縁側」と言われてもピンとこないかもしれない。縁側とは、大辞泉によれば以下のとおりだ。

「和風住宅で、座敷の外部に面した側に設ける板敷きの部分。雨戸・ガラス戸などの内側に設けるものを縁側、外側に設けるものを濡れ縁ということが多い」

わたし自身、現在は鉄筋コンクリートの集合住宅に住んでいるため縁側とは無縁だが、幼少時の自宅にあった縁側の「家の内のような外のような、曖昧な場所ゆえの心地良さ」はよく覚えている。真夏の直射日光や冬の冷気に直接さらされるでもなく、しかし外の気配をシャットアウトするでもないあのビミョーな心地良さは、気密性の高い“快適な”現代の住宅ではまず味わえないものだ。

車に関しても似たようなことが言える。非常に気密性が高く、そして便利なフルオートエアコンを採用している現代の車は「内と外」の境界線が非常に明確だ。路面がミラーバーンになるほど寒い日であっても、キャビン内はあくまでも快適。車内にいる限り冬の寒さを感じることは一切なく、またエンジンのアイドリング音さえも、最近のキャビンにはほとんど届かなかったりする。

君よ縁側に座れ。さもなくば、縁側のような車に乗れ

それに対して文句を言うつもりはない。しかし、そんな現代の車に対して一抹の寂しさ、喩えて言えば、こじゃれたマンションで独り暮らしをしているかのような侘しさをもしも感じてしまった場合、わたしたちはどうするべきか?

ベストな解決策は、車をやめて自転車にすることだろう。そうすれば否応なしに、風の匂いすら常に感じることができる。しかしわたしのような自動車変態は、自転車は素晴らしいと頭でわかっていても、車から離れることを身体が許さない。そういった変態さんはわたし以外にも大勢いることだろう。その場合の「セカンドベスト」は何だろうか? 

答えはもう想像がつくかと思うが、「縁側のような車」に乗ることだ。派手に雨漏りするほどではないが、気密性が少々甘いため、風の匂いどころか通りがかりの家の夕飯がカレーであることすらもわかってしまうような、そんな車。

最新世代の超気密カーにばかり乗っていると性格が独善的になる……というのは、それこそ独善的な物言いだが、それに近い現象は少なからずあるものだ。もしもそんな自分に気づいてしまったならば、次の車は、内と外との境界線が曖昧な、下記リンクにあるような「縁側カー」にしてみることをわたしはお勧めしたい。

あなたが縁側カーに替えてみたときのベネフィットは何か? それは、詩人・八木重吉が1925年に書いた『草に すわる』という詩ですでに説明されている。

わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

ということで、今回の伊達セレクションはずばりこちら。
まるで草の上に座っているかのような気持ちになる「縁側カー」はいかが?

文・伊達軍曹 text/Sergeant DATE