渋滞情報でおなじみの「猿橋バス亭」の「猿橋」に行ってみたら、けっこうな観光スポットだった!
カテゴリー: ドライブ
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2014/12/03
日本三大奇橋のひとつ「猿橋」はなかなかの観光スポット
大型連休に入ると、テレビやラジオから「中央道下り線は、猿橋バス停付近を先頭に○○kmの渋滞です」という渋滞情報を良く耳にします。そんな「猿橋バス停」。何度も繰り返し聞かされるものだから、記憶に残っている人も多いでしょう。筆者も以前から、「猿橋」とはどんな場所なのかがすごーく気になっていました。そこで今回、中央道を利用するついでに、ぶらり途中で高速道路を降りる旅に出かけてみたのです。
東京都内から出発して件の「猿橋」までは約1時間30分。昭和7年には、付近の大断崖と植生を含めて、国により名勝に指定されているようです。到着して判明したのですが、「猿橋」は、なんと「日本三奇橋」のひとつなのだとか。気になって「日本三奇橋」を調べてみましたが、まず山梨県の「猿橋」、そして栃木県の「神橋」、山口県の「錦帯橋」と徳島県の「かずら橋」、それに長野県の「木曽の桟(かけはし)」と諸説あるようでした……。
驚いたのは観光客の多さ。バスツアーで訪れていた若い女性客をはじめとして、リタイヤ世代のご夫婦など、橋周辺をひっきりなしに人が行き交っています。
猿橋は下から見上げるのがツウ?
猿橋ではボランティアガイドの根岸光子さんが猿橋の由来を説明する紙芝居を上演中。要約すると「推古天皇の時代に百済からやって来た志羅呼(シラコ)さんが橋を架けようとしたのですが、川が氾濫して橋脚が何度も流されてしまった。うまくいかずに途方に暮れていたときに、猿同士がつながって体を橋として、対岸に渡る姿に遭遇。その姿をヒントに、橋脚を使わない猿橋を架けるのに成功しました。めでたし、めでたし」といったもの。
実は「猿橋」、その歴史はものすごく古く、最初に架けられたのは推古天皇の時代、7世紀頃と伝わっているようです。江戸時代には甲州街道の要衝として、幕府直轄での工事が行われ、9回の架け替えと十数回に及ぶ修理が行われました。ちなみに、昭和初期は橋の幅が今よりも広く、車が行き交っていたそうです。戦時中は、戦車が通ったこともあるとのこと。なんて丈夫なんでしょうか。
根岸さんはボランティアガイドをしながら観光客にお手製のぬか漬けを振る舞っているそうで、私もごちそうになりました。これがまた本当に美味なのでした!
そんな根岸さんに「橋を下から眺めてごらんなさい」と言われたので、早速行ってみると、なるほど「三大奇橋」と呼ばれていることに納得。崖の両岸から張り出した四層のはねぎがテコの原理で橋を支えています。この建築方法は刎橋(はねばし)と呼ばれ、木造で現存しているのはここだけなのだとか。1400年以上も前にこんなことを思いつくなんて、人間ってスゴい!
軽い気持ちで寄ってみた「猿橋」、実はなかなか充実した観光スポットでした。ちょっと寄り道できるのもドライブの楽しみのひとつ。中央道の渋滞でイライラしたら、途中で降りて立ち寄ってみてはいかがでしょう。