第九問答 飲酒運転は言語道断! 【ドライブマナーに喝っ!】
カテゴリー: カーライフ
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2008/03/05
喝っ!
悲惨なニュースが続いてもなくならない酒酔い運転。人の心に潜む弱さと驕りや傲慢など、人の邪悪な一面であり、すべての人の心の油断であると心得よ。酒豪を自慢にする輩、飲酒運転を自慢する輩、少量だとたかをくくる輩・・・皆、酒を飲んで車を運転したら犯罪者である。
日常で如何に人格者であろうと、飲酒運転をする輩は決して人格者ではない。一杯の飲酒は、善良な人を、最も外道な輩に簡単に変えてしまう。それも全く悪意ないままに。実に恐ろしいことであると心得よ。
最も極悪な悪人は、悪意の意識なく悪意を行う者なり。後ろめたさや、罪の意識は微塵もなく、取り締まりや事故にあわなければ露見することもないので、さらに罪を重ねる。しかも、重大な事故を起こし、人命を殺めたり危険にさらした時でさえ、アルコールによって麻痺した頭で善悪の判断すら麻痺しているのか、ひき逃げをする外道までいる。挙句の果てに、罪の償いすらも逃げようとする。言語道断、この犯罪者に情状酌量の余地などまるでない。
犯罪者の親も己の育て方を悔い、大人としていかに「油断」が悲劇を招くかを我が子共々思い知るべきである。そして被害者の心情を優先して想うことを薦める。
多くの人は己が犯罪者になるとはつゆとも思っていない。これが「油断」である。些細な「油断」が取り返しのつかない悲劇へと繋がる。そこに「飲酒運転」の恐ろしさがある。アルコールは脳を麻酔し思考を停止させ、結果的に人は正常な判断ができなくなる。 しかし、アルコールを体内に入れたのは本人である。その責任はもっと確実に重い罰になるべきである。
昨今飲酒の刑罰は重くなってきている。しかし、飲酒運転で事故を起こしながら現場から逃げ、酔いが醒めてから自首すると刑罰が軽くなる場合がある。このような「逃げ得」という逃げ道があるうちは軽いと拙僧は考える。
運転者のアルコール摂取に反応して車が動かなくなるシステムの開発が進んでいる。しかし、まだまだ実用には遠い。そもそも機械にそこまで依存しないと飲酒運転が無くならないというのは、情けない話ではないか。人は飲酒という些細な「油断」の招く大きな悲劇を自覚しなければならない。
合掌っ!
Text/煩悩寺和尚 Illust/叶雅生
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