▲右から日本初の量産乗用車の三菱A型、戦前に軍用四輪駆動の試作車だったPX33、戦後米国ウイリス・オーバーランド社との技術援助契約のもと製作された三菱ジープ。ちなみに写真のA型は約50年前の1972年に作られたレプリカ、PX33は1988年にフランスのソノート社(当時の三菱自動車の総代理店)がパジェロをベースに製作したレプリカ ▲右から日本初の量産乗用車の三菱A型、戦前に軍用四輪駆動の試作車だったPX33、戦後米国ウイリス・オーバーランド社との技術援助契約のもと製作された三菱ジープ。ちなみに写真のA型は約50年前の1972年に作られたレプリカ、PX33は1988年にフランスのソノート社(当時の三菱自動車の総代理店)がパジェロをベースに製作したレプリカ

テストコースのすぐ近くで三菱自動車の歴史を知れる穴場スポット

新車開発のためのテストコースもある、愛知県岡崎市の三菱自動車工業の技術センター。

乗用車の生産工場もある敷地内の一角に、予約すれば誰でも無料で入れる「三菱オートギャラリー」がある。

三菱自動車工業というと「三菱重工業の自動車部門がスタートだったよね」なんて知っているのは、ラン“エボ”じゃなくラン“タボ”が青春だった私のようなオッサンかもしれない。

しかしそんなオッサンでも「初めて三菱を冠した量産乗用車を作ったのが三菱“重工業”ではなく三菱“造船”だった」なんてなかなか知らないんじゃないだろうか。

ここには三菱造船が手作りした三菱A型など歴史上貴重な名車をはじめ、三菱重工業時代に作られた二輪車や三輪車、さらには三菱自動車が北米に初めて輸出したモデルやモーターレースで大活躍したレースカーまで展示されている。

社員が働く技術センター内にあるため、土日やGW、年末年始などは見学できないが(詳細はホームページで確認を)、その分知る人ぞ知る的な穴場の車博物館。何度も言うが、これが無料。

しかも見学後は記念品までもらえる。広島から何度も来場している少年がいるそうだが、それもうなずける。

展示車両の入れ替えは半年に1回程度行われ、今年2019年6月からは新しい展示内容になる。

そのため今回取材した車の中には、しばらく見ることができないものもあるだろうから、下記にできるだけ紹介しておこう。

「三菱A型」や「三菱ジープ」など名車がざくざく

三菱重工業が誕生する前に三菱が作った車、それが三菱A型だ。1917年(大正6年)に試作が始まり、日本初の量産乗用車として誕生した。

量産といってもほぼ手づくりのため、1台1台、作るたびに改良が加えられていったそうだ。

戦時中に零戦を作っていた三菱重工業は、戦争直後は作るものに制限があり、生活用品からスタートした。

やがてスクーターや軽三輪車製作を経て、ようやく1960年(昭和35年)の三菱500に続いていく。

▲三菱造船が当時のフィアット社の車を参考にしながら手作りで生産した三菱A型。試作車を含めて計22台が作られた▲三菱造船が当時のフィアット社の車を参考にしながら手作りで生産した三菱A型。試作車を含めて計22台が作られた
▲戦時中は零戦を作っていた三菱重工業。戦後の乗り物の製造は自転車からスクーター、そして三輪車へと少しずつ発展していった。写真手前のスクーター「C10」はシルバーピジョン最初の量産モデル。6月からは実車が展示される予定だ▲戦時中は零戦を作っていた三菱重工業。戦後の乗り物の製造は自転車からスクーター、そして三輪車へと少しずつ発展していった。写真手前のスクーター「C10」はシルバーピジョン最初の量産モデル。6月からは実車が展示される予定だ
▲アメリカ・ウイリス社のジープを三菱重工業がノックダウン生産したのが「三菱ジープ」。展示車両のフロントグリルにはスリーダイヤとウイリス社のロゴが並んでいる▲アメリカ・ウイリス社のジープを三菱重工業がノックダウン生産したのが「三菱ジープ」。展示車両のフロントグリルにはスリーダイヤとウイリス社のロゴが並んでいる

国民車からグランドツーリング、ランエボのタマゴまで

高度経済成長期には国からの「国民車構想」の要請に対し1960年に「三菱500」が製作される。

1970年に三菱重工業の自動車部門が独立するカタチで三菱自動車工業が誕生すると、グランドツーリングカーやスポーツハッチバックの開発など、車種バリエーションが一気に華やいでいく。

▲1960年に発売された「三菱500」は後に「コルト」へと発展。さらに「ギャラン」へと進化する礎を築いた。また三菱500は1962年にマカオグランプリに出場し、見事1・2・3フィニッシュを遂げるなど、三菱自動車のモータースポーツの原点にもなっている▲1960年に発売された「三菱500」は後に「コルト」へと発展。さらに「ギャラン」へと進化する礎を築いた。また三菱500は1962年にマカオグランプリに出場し、見事1・2・3フィニッシュを遂げるなど、三菱自動車のモータースポーツの原点にもなっている
▲日本初のファストバックスタイルを採用したた「コルト800」をベースに進化させた「コルト1100F」。車名のFはファストバックの意味だ。独特なリアの窓の開き方は飛行機からイメージしたという説もある。また給油口がリアのナンバープレートの裏側に隠されているなど、独特の構造が採用されている▲日本初のファストバックスタイルを採用したた「コルト800」をベースに進化させた「コルト1100F」。車名のFはファストバックの意味だ。独特なリアの窓の開き方は飛行機からイメージしたという説もある。また給油口がリアのナンバープレートの裏側に隠されているなど、独特の構造が採用されている
▲4ドアの「コルトギャランA II GS」(写真左)は1969年に登場して大ヒット。この翌年の1970年に三菱自動車工業が誕生した。また1970年にコルトギャランのクーペ版「ギャランGTO」もデビュー。1.6Lエンジンを搭載し、中でもトップグレードのMR(写真右)は三菱初のDOHCを積み、最高速度は200km/hを誇った▲4ドアの「コルトギャランA II GS」(写真左)は1969年に登場して大ヒット。この翌年の1970年に三菱自動車工業が誕生した。また1970年にコルトギャランのクーペ版「ギャランGTO」もデビュー。1.6Lエンジンを搭載し、中でもトップグレードのMR(写真右)は三菱初のDOHCを積み、最高速度は200km/hを誇った
▲国産車で初めて角目四灯を採用した「ギャランΛ(ラムダ)」。4ドアのΣ(シグマ)とともに人気を集めた。四角いヘッドライトのガラスや、回り込むように湾曲するリアウインドウの実現は当時高い技術を要したという。またステアリングはかつてのシトロエン車のような1本スポークと内外装とも斬新なデザインが採用されている▲国産車で初めて角目四灯を採用した「ギャランΛ(ラムダ)」。4ドアのΣ(シグマ)とともに人気を集めた。四角いヘッドライトのガラスや、回り込むように湾曲するリアウインドウの実現は当時高い技術を要したという。またステアリングはかつてのシトロエン車のような1本スポークと内外装とも斬新なデザインが採用されている
▲1987年に登場したギャランVR-4は世界ラリー選手権(WRC)出場を念頭に開発された。当時の最先端技術である「4バルブ」「4WD」「4WS(四輪操舵)」「4IS(四輪独立懸架)」「4ABS」を搭載。最高出力205馬力(デビュー当時)を誇った2Lの直列4気筒ターボは、4WDシステムとともに後のランサーエボリューションへと受け継がれていく。いわばランエボの元祖だ▲1987年に登場したギャランVR-4は世界ラリー選手権(WRC)出場を念頭に開発された。当時の最先端技術である「4バルブ」「4WD」「4WS(四輪操舵)」「4IS(四輪独立懸架)」「4ABS」を搭載。最高出力205馬力(デビュー当時)を誇った2Lの直列4気筒ターボは、4WDシステムとともに後のランサーエボリューションへと受け継がれていく。いわばランエボの元祖だ

日本や世界のライバルと実際に戦った戦闘マシンたち

三菱自動車工業といえばやはりモータースポーツの歴史は外せない。

先述のように三菱500ですでにマカオグランプリに出場していたが、WRC(世界ラリー選手権)やパリ・ダカールラリー(現ダカールラリー)でもスリーダイヤモンドの実力を世界に示すことになった。

▲写真奥が「ギャランVR-4」。同車のドライバー篠塚建次郎が1991年に日本人で初めてWRCの一戦・アイボリーコーストラリーで総合優勝を獲得した。展示車は翌年もアイボリーコーストラリーで総合優勝を果たした際の実車。写真手前は1971の日本グランプリで優勝したフォーミュラーカー「コルトF2000」。先進的なサイドラジエーターの採用は、かつての飛行機製造技術が生かされた▲写真奥が「ギャランVR-4」。同車のドライバー篠塚建次郎が1991年に日本人で初めてWRCの一戦・アイボリーコーストラリーで総合優勝を獲得した。展示車は翌年もアイボリーコーストラリーで総合優勝を果たした際の実車。写真手前は1971の日本グランプリで優勝したフォーミュラーカー「コルトF2000」。先進的なサイドラジエーターの採用は、かつての飛行機製造技術が生かされた
▲写真左は「スタリオン」のレースカー。全日本ツーリングカー選手権で1987年に総合優勝した際の実車だ。右は1998年のパリ・ダカールラリーで総合1・2・3フィニッシュしたパジェロ・エボリューションの実車。ちなみにこのベース車両が市販車として前年の1997年に発売された。当然通常のパジェロより高性能で、今でも中古車で見つけられる▲写真左は「スタリオン」のレースカー。全日本ツーリングカー選手権で1987年に総合優勝した際の実車だ。右は1998年のパリ・ダカールラリーで総合1・2・3フィニッシュしたパジェロ・エボリューションの実車。ちなみにこのベース車両が市販車として前年の1997年に発売された。当然通常のパジェロより高性能で、今でも中古車で見つけられる

無料のドリンクを飲みながらミニカーや当時のカタログを閲覧

展示会場を抜けた奥には専用カフェがある。すぐ隣のラウンジとともに社員も利用するスペースだ。

三菱オートギャラリーへの来場者には、ドリンク無料のサービスがある。

▲2017年のリニューアルで新設されたカフェ。三菱オートギャラリーの来場者にはドリンクが無料サービスされる。歴代の三菱自動車のミニカーが展示されている他、展示車などのカタログ(コピー)も閲覧することができる▲2017年のリニューアルで新設されたカフェ。三菱オートギャラリーの来場者にはドリンクが無料サービスされる。歴代の三菱自動車のミニカーが展示されている他、展示車などのカタログ(コピー)も閲覧することができる
▲来場記念にもらえる下敷きとパンフレット▲来場記念にもらえる下敷きとパンフレット

一見フツーの工場にしか見えない敷地の一角に、実はこんなにお宝車が提示されている。

もちろん上記で取り上げた車以外にも、例えばランサーエボリューションを含むランサーシリーズや、四駆の王者・パジェロ、三菱初のFFミラージュ……ストックヤードに眠っているお宝車はたくさんある。

展示車両の入れ替えは半年に1回、春と秋に予定されているというので、何度も足を運んでみたくなる博物館だ。

●三菱 オートギャラリー
[住所]愛知県岡崎市橋目町字中新切1番地
[電話]0564-32-5203 ※ご見学・お問い合わせ専用
[開館時間]9:00~17:00(12:30~13:30を除く)
[休館日]土日及び三菱自動車工業(株)の休業日(ゴールデンウイーク、夏季連休、冬季連休)
[入館料]無料 ※見学の際は要予約


文/ぴえいる、写真/篠原晃一

ぴえいる

ライター

ぴえいる

『カーセンサー』編集部を経てフリーに。車関連の他、住宅系や人物・企業紹介など何でも書く雑食系ライター。現在の愛車はルノーのアヴァンタイムと、フィアット パンダを電気自動車化した『でんきパンダ』。大学の5年生の時に「先輩ってなんとなくピエールって感じがする」と新入生に言われ、いつの間にかひらがなの『ぴえいる』に経年劣化した。