大原がおり


車で我々に夢を提供してくれている様々なスペシャリストたち。連載「スペシャリストのTea Time」は、そんなスペシャリストたちの休憩中に、一緒にお茶をしながらお話を伺うゆるふわ企画。

今回は、『出動!ミニスカポリス』にて一躍有名になり、昨年レースクイーンデビューも果たした大原がおりさんとの“Tea Time”。
 

大原がおり

語り

大原がおり

1976年2月、東京都八王子市出身。昨年OwltechLadyとしてレースクイーンデビューし話題に。1997年「出動!ミニスカポリス」(テレビ東京)3代目ポリスに就任し一躍人気となる。2005年には犬のファッションブランド「Otty」を立ち上げる。YouTubeにて「大原がおりの山姥チャンネル」配信中。

八王子で車に乗らない若者はいません(笑)

地元が八王子なんです。だから車好きっていうか、八王子では若者は全員車に乗るんですよ(笑)。

私も18歳になった瞬間に免許を取りました。実家は「大原青果店」という八百屋で、家に商用のハイエースがあったんですけど、そのころサーフィンブームだったからワゴンに乗りたくて。

ほんとはマークⅡバンかセド(リック)バンがよかったんだけど、高校卒業したばかりで高くて買えなくて。代わりにスカイラインワゴンを買いました。平成元年モノで29万円。安いでしょ(笑)? それで出会いを求めて海に行って(笑)。

そのあと20歳で「ミニスカポリス」でテレビに出るようになって、都心に引っ越したので車は売っちゃったんですけど、24歳のとき、両親にエスティマルシーダを買ってあげました。父がトヨタ車好きですごく欲しがってたので。人生最大の買い物です(笑)。
 

必死の売り込みが実って44歳のレースクイーンに

先日、念願だったレースクイーンをやらせてもらいました。スポーツ新聞やネットでも「44歳のレースクイーン」って取り上げてもらって、久々に話題になりました(笑)。

きっかけは5~6年前、サーキットに遊びに行ったときに「レースクイーンってカッコいいな」って思ったこと。コスチュームも素敵だけど、しっかりスポンサーさんの名前を宣伝しているんだということがわかって、すごく意味のある仕事なんだなって。

昔からお世話になってるレーサーの脇阪寿一さんに「レースクイーンやりたいです」って話したら、「わかった。オレが監督になったら起用するよ」って言ってくださったんですけど、その後ぜんぜん声がかからなくて……(笑)。

そうか、待っててもダメなんだな、と気づいて、脇阪さんのツイッターに「レースクイーンってカッコいいですね。私もやりたいな~」ってコメントしたり、トドメは自分のYouTubeで脇阪さんに電話して「ホントにやりたいんです!」と直談判。「そんなにヤル気があるなら……」と、ついに(笑)。

スポンサーさんの了解も得られ、トヨタ 86レースの最終戦でデビューすることになったんです! コスチュームが着られるように、背中鍛えたり足を引き締めたり、急ピッチでトレーニングして。それからかなり大変でしたけど……。
 

大原がおり ▲昨年11月にOwltech Ladyとしてデビューを果たした(写真:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY)

見せるのは自分の身体ではなくスポンサーロゴ

レース前日はとても緊張しました。胃が痛くなって、「やっぱり私、できない」って、逃げ出したくなって。思った以上にプレッシャーを感じてたんですよね。

でも、サーキットでは同じチームの武田美憂ちゃんがすごく親切に教えてくれて、おかげでなんとか土日2日間やりきることができました。

これまでグラビアの仕事はたくさんやってきたけど、レースクイーンはポーズがぜんぜん違うんです。

グラビアは自分をアピールするから胸もグイってやっちゃいますけど、レースクイーンがそれをやったらスポンサーロゴが見えないからNG。足を前にすっと伸ばす立ちポーズもブーツのロゴを見せるためなんだなってわかって、すごく勉強になりました。

初めてのレースクイーンは、とにかく感動の体験。チームで戦うおもしろさや人間模様がわかるとどんどんモータースポーツにハマるし、魅力を伝えたいって気持ちも湧いてきました。

もっと筋トレしてカッコいい体型になって、来シーズン“45歳のレースクイーン”やりたいです。また監督にプレゼンしなきゃ!
 

大原がおり ▲レースクイーンやグラビアはもちろん、今後も様々な分野で活動していきたいと語ってくれた
文/河西啓介
※情報誌カーセンサー 2021年3月号(2021年1月20日発売)の記事「スペシャリストのTea Time」をWEB用に再構成して掲載しています