▲大学生の時に乗っていたトヨタ マークⅡ。しかし訳があってボコボコになった ▲大学生の時に乗っていたトヨタ マークⅡ。しかし訳があってボコボコになった

同級生のライブで久しぶりに会った元恋人

このあいだ、アマチュアバンドをやっていた同級生たちが50年ぶりの復活ライブをやるというので観に行った。40曲近くやるという。数ヵ月前から集まりかなり本気で練習を重ねてきたらしい。

事前に出席するかしないか、というメールが来ていたので、ちょっと困ったのだが、懐かしいし一応出席にしておいて、直前に面倒になったら欠席すればいいや、くらいに考えていた。

最終的には気が向いたので行ったというわけだ。

ライブハウスは新宿にあり、地下に下りていくと結構大きなところにも関わらず、満員御礼。座席指定ときている。なるほど出欠をとるわけだ。

なぜか一番前のテーブルに案内され、辺りを見回すと7割くらいが学校関係者。まあ小学校の同級生やら大学の同級生やらいろいろ入り交じっている。そして3割くらいがサークル関係者。

僕は学生時代、彼らと同じサークルに所属していたのである。つまりこの会場にいる観客のほぼ全員が知り合いだったわけだ。

とはいえ、クラス会が大嫌いな僕は知っていそうで知らない顔がある。名前を名乗ってくれればいいが、そうでないと誰だか分からない。誰だ? このおじいさん、と思っていると小学校の同級生だったりするから要注意である。

数名の同級生がぱらぱらと僕のテーブルに来て、ありがちな会話をしていたら、ふと年配の女性が隣のテーブルから立ち上がって僕の方にやって来たと思うと、こう言った。

「私のこと覚えてる?」

50年という時間は恐ろしい時間だ。一瞬もやっとした霧の中に包まれたが、やがてそれが誰だか思い出されてきた。

忘れもしない。大学の時に僕のことを雑巾のようにこき使いやがったやつだ。送り迎えは当然。プレゼントも当然。

免許がもうじき取れるから練習をしたい、というので、とある広大な敷地内で僕のマークⅡを運転させてやったら、思い切りアクセルとブレーキを間違え、造成地に突っ込み、その後も内輪差も分からず電柱に横っ面を思い切りこすりつけ、ボコボコにしておきながら、車が悪い、と言ったやつだ。

「えーと、あのう……」ともごもごしていると、

「私です。Mです。大学の時一緒だった……」

もちろん分かっているさ。ただ、どう対処していいのか、どう返事したらいいのか分からないでいるだけさ。

「ああ、ああ……」

僕はいったい今、どういう顔をしているのだろう。あの時のアッシーの顔に逆戻りしているのか、それともただ困っているだけなのか。

「ああ、覚えてます」と、ようやくのことで言った。でもそれ以上は何を言ったらいいのか分からない。そしてバアさんになった彼女の顔も悪くて見れない。やがて彼女は自分の席に引き返していった。

そういえば僕がこの人と知り合ったのは、今日出演のバンドのメンバーの友達だったからだということを思い出した。そういえばそうだったな……不思議と無感情に思った。

僕は彼女のことを忘れたことはなかった。この50年のあいだ、一度も、だ。

振られた時のことも覚えている。広告研究会だった彼女が葉山のキャンプストアで働いている時に会いに行ったのだ。夜だった。

ボコボコのままのマークⅡをビーチ近くの駐車場に停め、歩いて行くと彼女の姿があった。僕に気付いても笑顔はなかった。どこか迷惑そうだった。

しかたなしに、という感じで海辺を二人で歩いた。手を一瞬つないだが、同じクラブのメンバーの目が怖いらしくすぐに離した。どれくらいいたのだろう。20分か、30分か。やるせない気持ちで葉山をあとにした。

マークⅡの窓をいっぱいに開けて風をビュウビュウ入れながら走った。もう終わりだということはこの時感じていたのだろう。

苦しくて苦しくて、何日かがまんしたけれど、やっぱり電話をし、そしてあっさりと別れを告げられた。分かっていたのにショックだった。

時間は誰にたいしても優しい。そんな傷もやがてかさぶたになり、次の恋愛を経験する頃にはぽろりと落ちていた。

長い時間経って思い出すたびに、もし、あの恋愛……いやただの片思いだったかもしれないが、それが成就していて、もし結婚でもしていたらどうなっただろう、なんて考えるようになった。

あっちに振れていた振り子が反動でこっちに振れたようだった。

なんと恐ろしいことなんだろう。尻の下に敷かれるのは当然として、暗黒の結婚生活が待っていたに違いない。地獄とはこのことだ。

ああ、神様、振られたこと、今さらながら感謝しています。こう思いながら50年が過ぎたのだった。

そしてバアさんになった彼女が隣のテーブルにいる。ライブが終わるまでこのまましかとするか、いや、さよならくらいは言うか、ライブのあいだずっとそんなことばかり考えていたように思う。

やがてライブが終わり、意を決して彼女のところに行くと「一緒に写真を撮ろうよ」と言った。これが僕にできる精一杯の優しさだったと思う。彼女はうれしい、と言い、またまたそれが僕を複雑な気持ちにさせた。

もちろん捨ててしまった昔の気持ちは戻っては来ない。しかし彼女に対する負の気持ちもこれで帳消しにできた気がした。ああ、ゼロに戻れたな、と思った。

もちろん住所も電話番号も何も聞かずに別れた。

後日、マネージャーにその話をすると「勝ったと思いましたか?」と言われた。「そんなわけないだろ」と答えたが、本心を言うと、実はちょっとだけ勝ったと思ったのである。
 

文/松任谷正隆、写真/トヨタ

松任谷正隆

音楽プロデューサー/作曲家

松任谷正隆

1951年、東京都生まれ。音楽プロデューサー、作曲家、アレンジャーとして活動。音楽学校「マイカ・ミュージック・ラボラトリー」の校長も務める。一方でモータージャーナリストとしても日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、「CAR GRAPHIC TV」のキャスターと多彩に活躍中。

※カーセンサーEDGE 2019年2月号(2018年12月27日発売)の記事をWEB用に再構成して掲載しています