ホンダ SSM(1995年東京モーターショー)→S2000(1999年)

S2000のベースとなったコンセプトカー「SSM」は1995年の東京モーターショーに出展された。前年の1994年には初代オデッセイが市販デビューし、それが大ヒットしているなかでのモーターショーとなる。SSMのほかにはステップワゴンやS-MXが出展され、当時業界内でも「ホンダ怒涛のミニバン攻勢がスゴい」といった雰囲気になっており、注目はむしろ当時のホンダとしては珍しかったミニバンにあてられていた。

ホンダ SSM | 日刊カーセンサー → | 日刊カーセンサーホンダ S2000 | 日刊カーセンサー

市販化は1999年。市販までの5年間の間に、S2000は若者からファミリー層へのターゲットチェンジを行った。また、販売後の2000年には「平成12年排ガス適合第一号車」として認定されるなど、エコへの意識も高まってきた時代を反映している

スポーツマインドをあますことなく刺激

ホンダ SSM 運転席 | 日刊カーセンサー SSMは流線型のボディライン、運転席と助手席が完全にセパレートされた内装など、どこを見てもスポーツマインドを刺激するような意匠が取り入れられていた。

当時はまだ「ホンダ=スポーツカー」というイメージが強かった時代だったので、むしろSSMなどは、ユーザーから見れば、当然な存在でもあったのだ。

スペックは全長3985×全幅1695×全高1130mm。塔載エンジンは2L直5DOHCエンジン。量産車のS2000はMTのみだったがSSMはATであった。

若者からファミリーへのターゲットシフトの端境で

ホンダ S2000 リア | 日刊カーセンサー 市販モデルのS2000がデビューしたのが1999年。1998年にホンダの創業50周年を記念して発表されての発売開始となった。歴代ホンダ車のなかでは数少ないFR方式を採用していた。

SSMは5ナンバーサイズだったが、S2000は全長4135×全幅1750×全高1285mmと3ナンバーサイズになり、塔載エンジンは同じ2LのDOHC VTECながらも、直5から直4となった。S2000は平成12年排出ガス規制適合第一号車となり、SSMを出展していた時期とは、ホンダを取り巻く環境もだいぶ変化していた。

すでに売れ筋は、オデッセイとステップワゴンの「ミニバン2トップ体制」となり、一部ではホンダのことを「ミニバン屋」などと揶揄する人もいたほど。SSMのときとは異なり、S2000はあくまで「ホンダ=スポーツカー」というイメージへのメモリアル的な要素が強かった。

80年代から90年代前半にホンダをけん引していたのは「ワンダーシビック」シリーズや、「サイバースポーツ」と呼ばれたCR-X、シティターボ、プレリュード、インテグラなど、スポーツ&スペシャリティカー。もちろん需要の中心は若者だ。とにかくホンダ車はカッコ良くて、メカニズムもまさにワクワクするような仕掛けがたくさんあった。

それが90年代後半、ミニバンをメインにホンダはファミリー層開拓へと、急に舵を切り出した。S2000はまさにそんな端境期(はざかいき)に翻弄されながら登場したモデルともいえよう。

その後約9年間で国内累計2万台、全世界累計11万台以上販売されたS2000は、2009年6月末をもって生産終了という、スポーツカー好きにとって寂しいニュースを聞くことになった。