マツダ AZ550 SPORTS(1989年東京モーターショー)→AZ-1(1992年)

1989年に開催された東京モーターショーで、なんと3タイプのコンセプトカーを出したブースがあった。それが、マツダのAZ550 SPORTS。ガルウイング式のAタイプ、クーペのBタイプ、「Cカー(グループCを走るレースカー)」ばりのエクステリアをもつCタイプの3台のコンセプトカーが、のちにAZ-1の原型となる。

AZ SPORTS 550A| 日刊カーセンサー → | 日刊カーセンサーAZ-1| 日刊カーセンサー

コンセプトカーではリトラクタブルで出展されていたが、1992年の市販モデルでは丸型ヘッドライトを採用。無機質なコンセプトカーに比べると愛きょうがある

A、B、 Cとゴージャスに3タイプも

 AZ SPORTS 550C| 日刊カーセンサー AZ550 SPORTS。このコンセプトカーは、1989年の東モでは、3タイプあったが、全車ミッドシップの2シーター、エンジンは3気筒DOHCターボを搭載していた。

上の写真の赤いAタイプはモダンマイクロスポーツ、Bタイプはクーペ、そして右の写真がCタイプ。CはまるでCカーをスケールダウンしたかのようだった。結局、市販化されたAZ-1に最も近かったのはAタイプだったが、当時驚きをもって迎えられたのはCタイプだったようで、「市販化されるのだったら欲しい!」と、購買意欲をそそられた人も多かったという。

スペシャルKカー3兄弟の最後に登場

AZ-1 リヤ | 日刊カーセンサー1992年、マツダは市販モデルのAZ-1をオートザムで販売開始。しかし、当時すでにバブル経済は崩壊していた。開発中はイケイケドンドンのバブル真っ盛りだったが、販売されたときにはバブル景気が崩壊といういささか不遇な車である。

バブルのときは、軽自動車でさえも「エコノミー」というキーワードでは売れずに、どんどん豪華傾向となっていった。見た目のゴージャス感だけでなく、基本性能も格段に上がった時期なのである。

例えばスバルヴィヴィオがある。4輪独立サスペンション、4気筒エンジンそしてトランスミッションはCVTを採用するなど贅沢な作りになっている。ボディ剛性はクラスを超えており、スーパーチャージャーエンジンを搭載したスポーツグレードは、いまなお競技会などで活躍している。

そしてもう一つの流れがスペシャリティモデルだ。ミッドシップレイアウトを採用するホンダビート、FR方式を採用する本格派のスズキカプチーノ、そしてオートザムAZ-1の3兄弟がそれにあたる。

AZ-1は全長3295×全幅1395×全高1150mm。スズキのアルトワークスから供給された、直3DOHCターボエンジンをミッドシップレイアウトで塔載する。ガルウイングを採用していたので、スーパーカームード満点であった。また、スーパーカーらしく居住空間はタイトそのもの。太めの筆者は運転席に座ることはなんとかできたが、運転したいとは思わなかったほどタイトであった。また、「これじゃ高速券の受け取りもできないのでは?」と言われるほどしか開かない窓も、大きな特徴の一つであった。

ビート、カプチーノに続き最後発でデビューしたものの、AZ-1を待ち受けていたのは、バブル景気崩壊後の世界。軽自動車は元の「エコノミー」へと舞い戻ろうとしていた。AZ-1は、あきらかに趣味性が高く、実用性の乏しいキャラクターということもあり、わずか3年後の1995年に生産中止という短命に終わった。

そういえばAZ-1のメディア向け発表会は、東京都内環状八号線にあるマツダの商品企画を行う関連会社「M2」のお洒落なビルで行われた。そのM2ビルもAZ-1と時を同じくするように1995年に閉鎖。いまでは葬祭場となっているという。