ランボルギーニ・デイ・ジャパン▲国立競技場にて開催された「ランボルギーニ・デイ・ジャパン」。パレードランの後、新型ハイブリッドスーパースポーツのテメラリオがお披露目された

スーパーカーという特殊なカテゴリーはビジネスモデルとして非常に面白く、それ故に車好きにとって興味深いエピソードが生まれやすい。しかし、あまりにも価格がスーパーなため、多くの人はそのビジネスのほんの一端しか知ることができない。今回は幾多の経営難をくぐり抜け、現在は好調な業績を実現しているランボルギーニ。そのポジションやマーケティングなどについて、「テメラリオ」がお披露目されたランボルギーニ・デイ・ジャパンから考察する。
 

意味ある“今売るものがない”からこその一大イベント

11月29日の国立競技場は130台のランボルギーニによって包囲されていた。そう、ランボルギーニ・デイ・ジャパンがステファン・ヴィンケルマン率いるサンタアガタチームを含むフルメンバーたちによって大々的に開催されたのだ。

400GTやエスパーダから、ミウラ、各ジェネレーションのカウンタックなどフルラインナップが集結したのは言うまでもない。パレードランは東京プリンスホテルをスタート地点とし、ステファン・ヴィンケルマンのパレード開始の合図を皮切りに、六本木、表参道、原宿を経てゴール地点である国立競技場へ到着した。そして、そこでは重要なセレモニーが待ち構えていた。

ニューモデル、テメラリオのアジアパシフィック・プレミアである。テメラリオはランボルギーニの電動化戦略、コル・タウリにおける全モデルの電動化というマイルストーンを完成させる重要な1台だ。ランボルギーニのスポーツカーセグメントにおいてこれからしばらくの間、セールスにおける大きな比率を占める重要なモデルであることは間違いない。これまでのウラカンと異なってパワートレインはサンタアガタ製となり、ランボルギーニの“純血性”をより強調しているのは需要なポイント。ウラカンには至る所にアウディの存在がちらついたが、このテメラリオにおいてはそれが一掃されている。
 

ランボルギーニ・デイ・ジャパン▲ウラカンの後継モデルとなる、4L V8ツインターボを搭載するプラグインハイブリッドのテメラリオ
ランボルギーニ・デイ・ジャパン▲ランボルギーニのチェアマン兼CEOであるステファン・ヴィンケルマン氏

実際、ランボルギーニの業績は極めて良好だ。2024年1月から9月までの売上高は昨年同期の2割増しで、十分な営業利益を生み出している。ラグジュアリーブランドが最重視する潤沢なバックオーダーの台数においても文句なしだ。フラッグシップのレヴエルトを発注するユーザーは少なくとも2年以上納車を待つ必要があるし、ウルスSEも来年の生産枠はすでに埋まっているという。

このセグメントにおいて、市場における飢餓感をあおり、希少性をキープすることは最需要課題であり、これを維持するためにブランドは多大な努力を行う。今回のランボルギーニ・デイをこれだけの大規模で開催するのも、この目的を達成するためである。テメラリオの受注も好調といわれるから、フツウのマーケティング的な考え方では、今売るものがないのになぜ、こんな投資を行うのかという疑問が生ずるであろう。しかし、ラグジュアリー・マーケティングにおいてこの考え方は正しくない。“売るほどあります”というのは最悪のプレゼンテーションなのである。
 

ランボルギーニ・デイ・ジャパン▲デザイン部門の統括責任者であるミィティア・ボルケルト氏
ランボルギーニ・デイ・ジャパン▲マーケティング部門のトップであるフェデリコ・フォスキーニ氏

危機を乗り越え受け継がれてきた“純血のDNA”

1963年に創業したランボルギーニであるが、不幸にもその10年後にはオイルショックがスポーツカー市場を壊滅させてしまった。創始者フェルッチョ・ランボルギーニ、そして彼の右腕であったパオロ・スタンツァーニというランボルギーニDNA生みの親が退出してしまい、ランボルギーニも、もはやという危機的な状況に陥っていた。

しかし、時々にその志を受け継ぐ者が現れ、その歴史が継承されたからこそ、今のランボルギーニがある。1978年に裁判所管理下におかれたランボルギーニだが、私財を投げうってまで再建に尽くしたのは、ジュリオ・アルフィエーリであった。元ライバルメーカー、マセラティのチーフエンジニアであったにも関わらずだ。続いてミムラン・ファミリー、リー・アイアコッカ率いるクライスラー……。それは創始者が描いたブランドの本質が正統なものであり、高い志の元に生まれたからに他ならない。

絶好調のランボルギーニであるが、経営方針で揺れるVWグループにおけるその存在価値が急激に高まっている。そういうときこそ、実は危なかったりする。好調なビジネスにはいろいろなヒトやコトが集まってくる。周囲の雑音に左右されることなく、ランボルギーニ純血のDNAを守り続けて、未来へと引き継がれることを切に願うところである。
 

ランボルギーニ・デイ・ジャパン▲パレードランのスタート地点は東京・芝の東京プリンスホテル
ランボルギーニ・デイ・ジャパン▲130台のランボルギーニが参加したパレードラン。六本木、表参道、原宿を経て国立競技場へとゴールした
ランボルギーニ・デイ・ジャパン▲会場内には30台の歴史的モデルと、レヴエルトをはじめとする最新モデルが展示された
ランボルギーニ・デイ・ジャパン▲イベントにはヴィンケルマン氏をはじめランボルギーニの主要メンバーが参加。日本市場の重要性の証しでもある

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文=越湖信一、写真=アウトモビリ・ランボルギーニ
越湖信一

自動車ジャーナリスト

越湖信一

年間の大半をイタリアで過ごす自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。