数々のレースで実績を残してきた谷口信輝さん「走り屋のアンチャンが、ついにここまでたどり着いた(笑)」
カテゴリー: トレンド
タグ: スペシャリストのTea Time / 河西啓介
2022/05/29
車で我々に夢を提供してくれている様々なスペシャリストたち。連載「スペシャリストのTea Time」は、そんなスペシャリストたちの休憩中に、一緒にお茶をしながらお話を伺うゆるふわ企画。
今回は、D1グランプリをはじめ、SUPER GT、スーパー耐久などで数々の実績を残している、レーシングドライバーの谷口信輝さんとの“Tea Time”。
語り
谷口信輝
たにぐち・のぶてる/1971年5月18日、広島県生まれ。高校生の頃よりバイクに夢中になり、18歳でミニバイクレースで日本一に。その後、ドリフト競技に出会い興味を持ち、レーシングドライバーとしての人生をスタート。D1グランプリをはじめ、SUPER GT、スーパー耐久などで数々の実績を残している。また、2022年度より日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員も務める。
ドリフト、カスタム、旧車……なんだかんだで13台持ち
僕はレーシングドライバーですが、レースでマシンを走らせるだけじゃなくて、とにかく車が好き!
だから少しでもたくさんの人に車の面白さを知ってもらいたくて、雑誌やウェブ、YouTubeなどを通じて「車遊びしよう」と発信しています。車を買ったりイジったり走ったり、一生懸命遊んでいるので忙しいです(笑)。
スポーツカーはもちろん、ドリフト、カスタム、旧車、トランポまで、カバーしてるジャンルは幅広いです。いま持ってる車はなんだかんだで13台(笑)。
メルセデス・ベンツ A45、AMG-GT、レクサス RX、トヨタ ハイエース、アリスト、アルテッツァ、ヨタハチ(スポーツ80 0)、日産 R35GT-R、V35スカイライン、S15シルビア、180SXが2台、スズキ ツイン…と、タイプも年代も様々。
ただその中でも、僕が「車の黄金時代」と呼んでる、80年代後半から90年代の車は特に面白いんです。性能とか安全性では現在の自動車にかなわないけど、個性や味という点では断然上だと思う。
もともとの値段を知ってるから、今の中古車価格は「高い~」と思うけど、やっぱり欲しくなるんですよね。今後も価格が下がることはないだろうし、思い立った日が“底値”だからと、つい(笑)。
レースとレースの間は、ゴルフでリフレッシュ
車以外で唯一の趣味はゴルフです。メンタルトレーニングにもすごくいい。
ラウンドしているとピンチの後にチャンスが来たり、その逆のことが常に起きる。そんなときに一喜一憂しないで、心の回転数を上げ下げしすぎず、いいところに保つというのが本業でも生きるんです。
そして、ゴルフは複数人でプレーするので、人との付き合い方という面も鍛えられますね。
一緒にコースを回ると、せっかちな人、のんびりな人、細かい人、大ざっぱな人、周りが見える人、他人に気を使える人、自分の空気を押しつける人……ぜんぶわかるんです。もちろん僕自身も丸裸になっていると思うけど。だからゴルフで気が合った人とは、後々長い付き合いになることが多いですね。
レースとレースの間には、なるべくゴルフの予定を入れるようにしてるんです。
レースでは悔しい思いをすることも多いんですが、集中してゴルフをすることで気持ちが切り替えられるし、嫌なことも忘れられる。本当に素晴らしいスポーツだと思うし、ゴルフには助けられていますね。
ジャーナリスト志望からいつの間にかレーサーに
まだあまり言ってないのですが、今年から日本カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)の選考委員を務めることになりました。
じつは僕が20代の頃に広島から上京して来たのは、レーサーになりたかったからではなくて、モータージャーナリストになって、車に乗る仕事で食っていきたかったからなんです。いつかCOTY選考委員になりたい、とも思っていました。
「仕事があったらお願いします」と自動車雑誌の編集部を回っているうち、少しずつ車に試乗する仕事をもらって。そのうちガンさん(黒沢元治さん)、中谷(明彦)さん、土屋(圭市)さんなどと話をさせてもらう機会が増え、次第に「レースがしたいなぁ」と思うようになったんです。
30歳でレースを始めてみると、「やっぱりオレはこっちだな」とあっさり方向転換しましたが(笑)。
だからCOTY選考委員になれたのは、あの頃の夢が叶ったような気がして嬉しいです。モータージャーナリストになりたくて上京してきた広島の走り屋のアンチャンが、ついにここまで来たぞ、と。思っていた道のりとは、だいぶ違いましたけどね(笑)。
インタビュアー
河西啓介
1967年生まれ。自動車やバイク雑誌の編集長を務めたのち、現在も編集/ライターとして多くの媒体に携わっている。また、「モーターライフスタイリスト」としてラジオやテレビ、イベントなどで活躍。アラフィフの男たちが「武道館ライブを目指す」という目標を掲げ結成されたバンド「ROAD to BUDOKAN」のボーカルを担当。