YouTubeで活躍する動画クリエイターのウナ丼さん「家族は僕の動画を観ていません(笑)」
カテゴリー: トレンド
タグ: フォルクスワーゲン / ビートル / スペシャリストのTea Time / 河西啓介
2022/04/14
車で我々に夢を提供してくれている様々なスペシャリストたち。連載「スペシャリストのTea Time」は、そんなスペシャリストたちの休憩中に、一緒にお茶をしながらお話を伺うゆるふわ企画。
今回は、元編集者で現在はYouTubeでクリエイターとして活躍する、ウナ丼さんとの“Tea Time”。
語り
ウナ丼
うなどん/登録者数29.2万人を誇る人気YouTubeチャンネル「ウナ丼_STRUT_エンスーCARガイド」を運営している動画クリエイター。1994年に自動車雑誌の出版社・三栄書房(現・三栄)入社、「OPTION」「モト・チャンプ」編集長などを務め、2006年にはフリーランスライターになるとともに自動車書籍の小規模出版社「エンスーCARガイド」を立ち上げる。
YouTube開始10年で初めての収益は300円
もともと車やバイクが大好きで、自動車雑誌の出版社に入社したことから自動車メディア業界の仕事がスタートしました。
ほんとは輸入車やちょっと旧い車が好きだったのですが、配属されたのは真逆のゴリゴリなチューニング雑誌。でもそこで編集の基礎を叩き込まれ、DVDマガジンにかかわることで映像編集の流れも覚えることができたんです。
“ウナ丼”という呼び名の由来ですか?「お前は(名字が)宇並だからウナ丼な」と、当時の編集部で先輩につけられ……いや、つけていただいたんです(笑)。
そこでは雑誌の編集長までやらせてもらったのですが、やはりもともと自分の好きだった輸入車や旧車などのエンスー(趣味的)な車を紹介したいと思い、会社を辞めて自分で『エンスーCARガイド』というシリーズ本を作り始めました。
最初は同人誌的な規模でしたが徐々に部数が増え、映像版DVDも制作するように。その宣伝のためにYouTubeに初めて動画を上げたのが2008年のことでした。
とはいえ、そのときはまさかこちらがメインの仕事になるとは夢にも思いませんでしたね。YouTubeで初めて300円の収益を上げたのが10年後の2018年ですから、思えばずいぶん長い潜伏期間がありました(笑)。
他の趣味ややることもなく休日も車ざんまい
今は、仕事の99%がYouTube関連です。動画は週に3~4本のペースでアップし、撮影と編集に追われる日々ですね。それでも土日にはなるべくロケ撮影を入れないようにしているのですが、結局溜まった映像の編集をしてしまうので、休みらしい休みはありません。
といっても、僕には車以外趣味もないですし、休みの日にやることもないので構わないのですが……。時間があればCS放送やDVDでWRCやF1の特集を観たり、旧車のレストアものの番組を観たり、カーセンサーで中古車情報をチェックすることも(笑)。
ドライブでもしようと愛車のメキシコ製ビートルで出かけても、気づいたら結局カメラを回してしまってますね。我ながら呆れるほど車馬鹿なんです。
家族は僕の仕事にはまったく興味がないようで、放っておいてくれるので助かります(笑)。うちには中学生と高校生の娘がいますが、僕の動画はまったく観ていませんね。いや、チャンネル登録していたらむしろ困っちゃいますが(笑)。
ワールドツアーに出かけマニアックな車に乗りたい
「 ユーチューバーってすごく儲かるんでしょう?」なんて言われることも多いですが、僕の場合、雑誌の編集をバリバリやっていた頃と、正直それほど変わらないですね。
先日、取材のアシとしてミニ クラブマンを購入しようと、中古車情報を調べまくり、ようやく見つけた“最安”の物件を大阪まで買いに行きましたから、それぐらいには儲かっているかな(笑)。
今やりたいことですか? コロナが収まったら「撮影のワールドツアー」に出かけたいですね。“ワールド”といっても主にアジア圏ですが、韓国、タイ、インドネシアなどに行って、現地でしか売ってない車に乗ってリポートしたいです。基本的にはメジャーな車というより、「自分が面白い」と思うマニアックな車を取り上げたいという気持ちが強いんです。
雑誌編集の仕事をしてるときから、カッコいいカラーグラビアより、モノクロの読者投稿ページを作るのが好き。今も動画編集しながら、なにか変なネタを入れられないかなってことばかり考えています。
今の夢ですか……? 『カーグラフィックTV』と『クルマでいこう』に出演させていただき、車の大きさを動物にたとえて説明することですね(笑)。
インタビュアー
河西啓介
1967年生まれ。自動車やバイク雑誌の編集長を務めたのち、現在も編集/ライターとして多くの媒体に携わっている。また、「モーターライフスタイリスト」としてラジオやテレビ、イベントなどで活躍。アラフィフの男たちが「武道館ライブを目指す」という目標を掲げ結成されたバンド「ROAD to BUDOKAN」のボーカルを担当。