空冷ポルシェ専門のボディワークショップ『クルマの達人 早川敏典』
カテゴリー: トレンド
タグ: EDGEが効いている
2019/04/11
空冷ポルシェのボディに引き継がれる価値を残す仕事を
ずいぶん昔、ある若手のメカニックと話しているときに早川さんのことが話題に上った。彼は早川さんのことを、古い時代の人と表現した。
特段悪気がある様子でもなかったが、そのひと言が強く引っかかった。
早川さんと話していると、素晴らしく楽しいワクワクするような話が聞ける。
わたしにとってそのほとんどは、わたしが生まれた頃の昭和の話。あふれる情報に毒されることのない時代の純朴な少年たちが、日々いろいろな出来事に遭い、発見し、自分の進む道を見定めていった物語。
まるで、映画『スタンド・バイ・ミー』のような光景が目に浮かぶその中に、車好きならば一度は聞いたことがあるような車や場所や会社の名前が登場する。
特に、鈑金塗装技術の根っこを叩き込んでくれた親方の下で、寝食をともにしながら厳しく鍛えられた仲間たちには、あの人もこの人もという名前が次々と登場する。
例えば、独立を決意した頃、俺はポルシェのメカニックになるんだという夢を一足先に叶えて飯倉の三和自動車で働いていた仲間を訪ねたことがあった。
その彼が働く傍らで丸一日をかけて工場見学をしたことがきっかけで、早川さんはポルシェの鈑金塗装をやろうと心に決めた。
やがて独立が決まったとき、間借りさせてもらった初めての仕事場を見つけてくれたのも彼だった。
早川さんは早川鈑金という看板を上げ、しばらくして彼もカトーオートテクノロジーという看板を上げ、2人は日本のポルシェの整備の一時代を築いていった。
あの人もこの人も、他にも次々と登場する仲間と築いたあの時代の話に、わたしは古い時代という過去調を覚えない。
むしろ、この空気感こそ今の世の中に欠けているパワーの源ではないかとさえ思う。
手軽に入らない情報は、夢や憧れや、それを身近に引き寄せようとする行動力を生んだ。
不要ともいえる不特定多数とのつながりが得られない環境は、数少ない身近の仲間を大切にする心と態度の礎となって、生涯を通じる深い絆を育んだ。
そして、好きなことを決めてまい進する集中力が、職人の技を磨いた。
嗚呼、素晴らしき昭和の熱感。日本におけるポルシェの伝説は、そのような時代を朗々と生きた彼らが築いた。
「世話を焼いて焼かれて、そういう仲間がいたんです。加藤さんが目の前で911をウマの上に上げてくれてね、ドアを開けてごらんっていうわけ。
おそるおそるドアハンドルを引くと、パチンって音がしてスッとドアが開いた。今度は閉めてみると、ピキーンって例のあの音でドアが閉まった。
当時の日本車では、ウマの上に車を上げちゃったらボディとドアが擦れちゃって開け閉めができないのが普通だったから、もうそれだけで大興奮ですよ。
なんてすごいボディなんだ、これがポルシェっていう世界のスポーツカーなんだって思ってね。この車がいつも身近にあるような仕事ができる人になろうって」
都心に霞が関ビルと東京タワーくらいしか高い建物がない頃、そこへ沈む夕日を見ながら、大好きな車にかじりついた職人たちから、今こそ学ぶべきだと思うのだ。
しばらくぶりに訪ねた早川さんの工房には、空冷エンジンを搭載した数台のポルシェがいて作業を受けていた。
「もう10年近く前になるかな。空冷のポルシェを専業にするボディショップにしようって決めたんです。仕事ですからね、つべこべいってる場合じゃないという事情がゼロではないんですよ。
でもね、自分が本当にいいと思える車だけに絞った仕事がしたくなったんだよね。
最近の車の技術の進歩に目を見張るものがあるというくらいは、十分理解しているつもりです。けれども私は鈑金屋ですから、すべてを裸にして車の骨格を眺めたときに、ずいぶん簡単な作りになっちゃったなぁと感じることが茶飯事なんです。
とりあえず見た目だけつくろうような仕事ではなく、一度手を入れたら、そのオーナーの生涯はもとより、次のオーナー、そのまた次のオーナーへと引き継がれてゆくような車って、あるじゃないですか。
そういう車に、丹精込めた仕事を納めることが、私の仕事なんです。ずいぶん早く逝っちゃった加藤さんとも、そういうところを競い合っていたわけですから」
古いと感じるだろうか? わたしはむしろ、今にあって新しいと、そう感じた。
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※カーセンサーEDGE 2019年1月号(2018年11月27日発売)の記事をWEB用に再構成して掲載しています