電気サソリも刺激的! 生粋のレース屋、アバルトという個性派ブランドの歴史をひもとく【EDGE Motorsports】
2024/01/18
電気自動車といえどドライバーを刺激するサウンド!
2023 - 2024 日本カー・オブ・ザ・イヤーにおいて、10ベストカーにアバルト初の電気自動車「アバルト 500e」が選出された。アバルトといえば、現在はフィアットのハイパフォーマンスブランドという位置づけだが、アバルト 500eは電気自動車でありながらもブランドの象徴ともいえるエグゾーストノートを忠実に再現した独自のサウンドシステム・サウンドジェネレーターを装備するなど、ブランドDNAを現代に継承している。
そもそもアバルトとは、1949年にカルロ・アバルトによってイタリア・トリノに設立された「アバルト& C.(Abarth & C.)」というチューニングメーカーをルーツとする。最初はフィアット車を改造してレースへ参加する他、チューニングキットの販売などを手がけていた。
その後はチューニングにとどまらず、スポーツカーやレーシングカーの設計や製作を開始。フィアット 600をベースにした「フィアット・アバルト 750GT」、フィアット 500をベースとした「フィアット・アバルト 595」など、大衆車を一級のレーシングカーに作り上げた。
さらに、名門カロッツェリアのベルトーネやピニンファリーナ、ザガートなどと協業し、オリジナルマシンの製作も手がけた。その手腕から“アバルト・マジック”という異名をもつことになる。ちなみに、現在に続くサソリのエンブレムは、カルロ・アバルトの誕生日の星座に由来するものだ。
モータースポーツの世界で成功を収めたものの資金難により、1971年にフィアット傘下に収まる。フィアットグループのレース部門となったアバルトは、活動の場をサーキットから世界ラリー選手権(WRC)をはじめとするラリーへと移す。
1972年には、WRCに向けホモロゲート用のマシン、フィアット・アバルト 124ラリーを投入。その後継車がスポーツカーの124とは対照的な量産セダンをベースにした真四角なボディの131ラリー・アバルトだ。このマシンは大活躍を見せ1977年、1978年、1980年の3度にわたり、WRCのタイトルを獲得している。
ところが1981年、アバルトはフィアット・アウト社(Fiat Auto SpA)に統合され、アバルトのブランド名は消滅してしまう。アバルトの開発チームは、グループ内でモータースポーツ活動を行う精鋭部隊へと姿を変えることになる。そしてフィアットのラリー活動は傘下のランチアへと移行。1983年の037ラリー、1985年のデルタS4、そして1987年から1992年までWRCで6連覇を果たしたデルタHFの開発もアバルトの手によるものだった。
1990年代に入ると同じく傘下のアルファ ロメオを擁して、DTMをはじめとするツーリングカー選手権への参戦を開始し、シリーズチャンピオンを獲得するなど大活躍した。1997年、アバルトの血を受け継ぐモータースポーツ部門は、フィアット・アウト・コルセに統合され、その活動に終止符をうつ。
2000年代に入るとフィアットはアバルトの名を冠したプント・アバルト・ラリーでラリー活動を再開。2006年にはグランデ・プントS2000アバルトでヨーロッパラリー選手権を制覇している。そして2007年、フィアットより正式にアバルト&C.の復活が発表された。
アバルト復活に伴い、アバルト グランデプントやアバルト 500といったフィアットの市販車をベースに、アバルトの名を冠したハイパフォーマンスモデルが発売された。現在はかつての名車の名を冠したアバルト 595や695などをラインナップする。
そして、ついに電気自動車の500eが登場したというわけだ。名門ブランドの新時代の幕開けに注目だ。