▲ここに自動車神社のご神体が祭られているとのこと。住所は、東京都世田谷区宮坂一丁目です ▲ここに自動車神社のご神体が祭られているとのこと。住所は、東京都世田谷区宮坂一丁目です

クルマ好きなら詣でたい「自動車神社」とは?

電気、気象、航空、自動車。これに共通してつく言葉ってな~んだ?



正解は「神社」。電気神社の正式名称は「電電宮」で京都嵐山の法輪寺境内に、気象神社は東京・高円寺の氷川神社境内に、航空神社は羽田空港第一旅客ターミナルに祭られています。

さて、自動車業界の末端のさらに先に細々ぶら下がる筆者としては、やはり「自動車神社」が気になってなりません。自動車で神社といえば、トヨタ自動車本社工場内にあり、「トヨタ神社」とも呼ばれる「豊興神社」を思い浮かべる業界関係者もいるかもしれませんが、それよりも懐が広い「自動車」全体の神社。いったい、どんな神社なのか…。

しかし、自動車神社は、電気・気象・航空神社ほどメジャーではなく、別の仕事で神社のことを調べたときに、知人に「そういえば、自動車神社もあるらしいよ」と聞いた程度。ほとんど、情報も持ち合わせていませんでした。

こんなときにはとGoogle先生に質問。すると、Wikipedia先生が、「それは、世田谷八幡宮の末社だよ」と明確な回答をくれました。ちなみに、神社本庁によると、末社とは「神社の境内にある小さな社で、本社の管理下にある小規模神社の呼称」なのだそうです。

とはいえ、Wikipedia先生は、結構間違えることも多いいけずな奴。そのまま信用するわけにはいきません。そこで、実際に足を運ぶことにしました。

やってきたのは小田急線・豪徳寺駅。駅からゆっくり歩くこと10分弱、鎮守の森の入り口にそびえる鳥居に「世田谷八幡宮」の額束を発見です。気を取り申して、鳥居で一礼し、境内にお邪魔します。

▲着いてから気がついたのですが、徒歩1分で東急世田谷線宮の坂駅がありました。ギャフン ▲着いてから気がついたのですが、徒歩1分で東急世田谷線宮の坂駅がありました。ギャフン

境内の説明によると、「世田谷八幡宮」の由来は、後三年の役の帰途、世田谷の地で豪雨に遭い十数日間滞在することになった源義家の一言にあるそうです。「今回の戦勝は、日頃信仰する八幡大神様のご加護」と感謝をして、豊前国の宇佐八幡宮の御分霊を世田谷の地にお招きするお祭りを行ったのが始まりなのだとか。約920年もの歴史がある由緒正しき神社なんですね。

境内はさほど広くなく、短時間で隅々まで見ることができました。奉納相撲の土俵や力石などはあれど、肝心の自動車神社の社が見つかりません…。もしや、Wikipediaの野郎、やりやがったな……。

確認のために神職の方を直撃したところ、自動車神社の社などは残っておらず、ご神体が本殿の奥に奉遷されているとのこと。その名残は、自動車神社の名が入ったお守りや車のお祓いに残っているそうです。

自動車神社の由来には、ちょっとしたエピソードがありました

さて、そもそも、なぜ「世田谷八幡宮」に「自動車神社」の末社があるのでしょうか。その理由は、神職の方にいただいた参拝のしおりに書いてありました。

要約すると、

時は昭和初期、世田谷区櫻(現在の東京農業大学の敷地)に、「陸軍自動車学校」(後の陸軍機甲整備学校)がありました。この自動車学校では、発足以来、校内外で、いろいろ不吉なことが続いていたそうです。どんな不吉なことがあったのかを調べたのですが、そこについては、結局わかりませんでした。

さて、この不吉なことの原因は、どうやら「この地にもともと祭られてあった稲荷様がそのままになっているからでは?」ということになり、そこで校内に「自動車神社」を建てて、5月1日の大祭日には盛大なお祭りを執り行い、「自動車神社」のお守りを謹製して全車両に奉斎させたのだとか。

その後、終戦により、学校は廃止。ご神体は、氏神様である世田谷八幡宮に奉遷されたという経緯なのだそうです。

世田谷八幡宮では、それから引き続き交通安全のお守りとして、車に付ける「自動車神社御守り」と身に付ける「自動車神社肌守」を奉製し、ご希望の方にお分けしているんですね。

▲こちらのお守りには、編集部の社用車を守ってもらいましょう ▲こちらのお守りには、編集部の社用車を守ってもらいましょう

ちなみに禰宜の方に「自動車業界の方が、結構参拝にいらっしゃるでしょう」と尋ねたところ、「私が記憶する限り、あなたが初めてです」との返事。電気神社には、電気&電波関係者がこぞって参拝しているとの話もあるのになぁ。

車を買って、お守りを買ったり、おはらいをしたりする人は多いと思いますが、都内在住の車オーナーのみなさん、愛車のために「自動車神社」にお参りしてみてはいかがですか?

text/コージー林田