▲3月上旬、「KLASSISK GARAGE TEST DRIVE」なる試乗会が開催。カーセンサーも参加した▲3月上旬、「KLASSISK GARAGE TEST DRIVE」なる試乗会が開催。カーセンサーも参加した

メーカー公式が旧車の試乗会を開催

ボルボというブランド、あるいはその姿勢に恋をしてしまった。

恋というのが大げさであるならば、「好感度が爆上がりした」と言い換えてもいい。

なぜ好感度が爆騰したかといえば、「このブランドはゆるくトガってる!」と確信したからだ。

「ゆるくトガる」とは果たしてどういうことなのか? 以下、ご説明しよう。

きっかけは3月上旬に行われた「KLASSISK GARAGE TEST DRIVE」なる試乗会だった。

ご存じの人も多いと思うが、ボルボ・カー・ジャパンは今、「KLASSISK GARAGE(ボルボ・クラシック・ガレージ)」という直営の整備・販売拠点を東京都町田市で運営している。

その業務内容は、超絶往年のモデルから900シリーズ(1990年代のモデル)までを「今後20万kmは最低でも普通に乗れるように」というニュアンスでビシッと整備し、場合によっては整備済みクラシックボルボの販売も行うというものだ。

今回の試乗会は、「そんなKLASSISK GARAGEはこんなことをやっていて、完成した車はだいたいこんな感じなんですよ」ということを一部メディアに周知する目的で開催された(のだと思う)。

4台あったKLASSISK GARAGEモノのうち筆者は3台に試乗することができたが、その詳細についてはまた追ってご報告したい。

感銘を受け、そして「恋」にも似た感情が発生してしまった理由は、試乗車そのもの以上に、その背景というか考え方だった。

▲もちろん試乗車にも恋はしたので、そちらのレポートもお楽しみに ▲もちろん試乗車にも恋はしたので、そちらのレポートもお楽しみに

ボルボのねらいとは

そもそもKLASSISK GARAGEは、ビジネスとして現在はぜんぜん儲かっていない。

帳簿を見たわけではないが、お聞きした話によればそうであり、東名横浜インター近くという自動車業界の一等地に3人の超ベテラン専属スタッフを配置し、さして大量ではない数のクラシックボルボを地味に整備しているのだから、まあ普通に考えて大した利益は出ていないはずだ。

だがボルボは「それでもやるんです!」と言っている。

目先の利益ではなく、「ボルボが考えていること」という目に見えないモノを形で表現し、そして大げさに言えば「人類の文化活動とその継承に貢献したい」ぐらいの勢いで、KLASSISK GARAGE活動に本気で臨んでいるのだ。

……自分がもしも女性だったら、そういった感じの男にホレるのではないかと思う。

KLASSISK GARAGEが販売する車両の「値付け」の根拠というか隠れたコンセプトにもホレた。

世の中ではボルボの公式拠点であるKLASSISK GARAGE以外の一般店でも、多数のクラシックボルボが販売されている。

もちろん公式=GOOD/非公式=BADという単純な図式ではない。

非公式のなかにもGOODな個体、まじめな整備をしている専門店も多々あることを筆者は知っている。

だが同時に「不まじめでけしからん個体」があることも知っている。

そういった個体の価格はたいていの場合かなり安く、そして多くのユーザーは、その安さについ釣られてしまう。

KLASSISK GARAGEが販売する整備済み車両の価格は「古い車をちゃんと乗れるように仕上げるとしたら、必然的にこのぐらいの価格になるのです」という無言のアピールであり、非公式を含む今後のより良きクラシック世界全体を構築するための「基準」あるいは「布石」たらんとしているのだ。

「美しい……」と、筆者は感じた。

▲車体はもちろん、周辺の品々への扱いも丁寧だ。こちらは試乗車のP1800に保管されていた説明書。古本屋に持って行っても良い値段が付きそうだ ▲車体はもちろん、周辺の品々への扱いも丁寧だ。こちらは試乗車のP1800に保管されていた説明書。古本屋に持って行っても良い値段が付きそうだ

サポート体制も万全

さらに美しいと感じたのはクラシック系パーツの部品供給体制というか、その心意気だ。

割とすぐにけっこうな種類の補修用部品が廃番となってしまう自動車メーカーは多く、それは欧州の有名老舗メーカーであっても例外ではない。

もちろん欧州老舗はかなりの長期にわたり過去車種の部品を作り続ける。が、やはり限界はあって、昨今は世界的な「ちょっと古い車ブーム」であるにも関わらず、「肝心の部品が欠品しちゃって困ってるんですよ」となっているユーザーや専門工場は多いものだ。

だがボルボは次元が異なる。

1990年代の900シリーズとかであれば、部品供給が続いていても驚かない。だが今回の試乗会に出ていたアマゾン(1956年~)やP1800(1960年~)の部品も「アレとコレはさすがに欠品しちゃってますが、それ以外はたいていまだまだフツーに入手できますよ」というのが、ボルボというブランドなのだ。

供給キープに関する圧倒的な手間と、その割には圧倒的に少ないはずの見返りを想像すると、「まいった……」と言うほかない。

「長く乗ってもらう」ということを、このブランドは伊達や酔狂、あるいはファッションではなく「本気」で言っていることが、このことからだけでもわかるからだ。

▲どのくらい古いのかのご参考に、こちらがアマゾン(1956年~) ▲どのくらい古いのかのご参考に、こちらがアマゾン(1956年~)
▲こちらがP1800(1960年~) ▲こちらがP1800(1960年~)

そして単なる懐古主義でもない

過日、ボルボ・カーズは「2020年以降、すべてのボルボ車の最高速度を180km/hに制限する」との声明を発表した。

これも、「交通事故死亡者または重傷者をゼロにしたい」という理想を、ファッションではなく「本気で」考えていることの現れなのだろう。

F1に参戦したり、ニュルブルクリンクで最速ラップを叩き出したりという意味でのトガリ方を、ボルボはしていない。車に詳しくない人からすれば、ボルボは「おとなしめで地味なブランド」だろう。

その見方にも一理あるが、事実はちょっと異なる。

「最速!」とか「モアパワー!」といった方向とは真逆の方向でトガッてる(極端である)というのが、ボルボというブランドなのだ。

そして筆者が何より凄いと思うのは、「その独自のトガリ方を、1924年からずううううううっと継続させている」ということだ。

瞬間風速なら誰にでも出せる。だが「継続」は、本気の者以外には絶対にできない作業なのだ。

text/伊達軍曹
photo/編集部、尾形和美